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身体に人から受けた傷は、やがて、いや、すぐに自然に消え
忘れ去られる。
心に人から受けた傷は、自然に癒されるすべもなく、自らの力では
消える事がない。
時の流れによる忘却と、傷より深みのある愛(やさしさ)だけが頼りなのか。
歌の世界はラブソングに満ちている。
恋愛と言うのは全ての人に共通するものだから、
恋愛をテーマにした歌ならば
その歌はより多くの人に受け入れられる可能性がある。
歌の作者はそれに賭けてみる。
愛なしではひとは生きていくことができない。
太陽や食べ物や水と同じように、それは人間にとって必須のもの。
だけど、最もつらいのは、人は愛をなくしても死ぬ事ができない
ことだ。
太陽や食べ物や水をなくして人は死んでしまうように、
愛を失ったときいっそのこと死んでしまえば話は簡単かもしえない。
だけど、そうじゃない。
死ぬことも生きることもできない。それが愛を失うこと。
何かを目指して一生懸命な人ががいる。

姿かたちは違っても一生懸命な人は皆同じ。
「生てる証し」を探しているんだよね。

人はみんなちっぽけな存在。
そんなちっぽけな人間が大きな大きな世界の中に
生まれてきて、、自分と言う人間が存在するって事を、自分の
力で確かめたい。せっかく生まれてきたんだから。

たくさんの人に知ってもらいたい。
せっかく素質があるんだから。
そして、自分と言う殻を打ち破りたい。。。

生てる証しを探している。
何もしないでいるとこの世界から消えいりそうな感覚
を振り払いながら。

人はひとつでも美しい汗を流す場所があれば幸せな事。
その場所を目指して進んでいく。
あなたがどんなに素晴らしい人だとしても、あなたは全ての
人から愛されるわけではない。
それと同様にあなたは全ての人を受け入れ、愛する事はできない。
理想の相手にめぐり合おうとしても、
望んでいるほど多く数の人たちと出会うことすらできない。
人間は、すでにそこにある愛や友情を育てることしか、
いや、育てるのを助けることしかできないのだ。
こだわりのない大人になっていないか。
好奇心を忘れた大人になっていないか。
つまらない顔した大人になっていないか。
初心を忘れた大人になっていないか。

クヨクヨしていい。
傷つきやすくていい。
弱くてもいい。

すれた大人になっていないか。
つまらない大人になっていないか。
見栄えや、金をものさしにして幸福を計る大人になっていないか。
物欲に導かれて生きてはいないか。

失敗したって、誇りをもっていていい。大切なのは挑むこと。
答えが出なくたっていい。大切なのは問うことなのだから。

感動できない大人になっていないか。
かつては、すべてが輝いていていたはず。
輝きを失った金(ゴールド)になっていないか。
時間と言うものを考えたとき
どうして一方向に直線のように進むものと考える必要があるのでしょう。
季節は円を描くようにめぐり戻って来るし
1日も24時間で1回りして戻ってくる。
空の太陽も夜空の月も季節も、みな進むものでなく廻るもの。
年も、本来は十二支に象徴されるように廻り回るものだったはず。
時間がひとつの方向に進むと言うのは比較的新しい考えなのかも
知れない。
そう考えると、年と言うのは案外一方的に増えるだけのものでは
ないのかもしれない。
求めていたのは心の居場所ではなく
心が帰る場所ではないだろうか。
旅に出ると「家」の意義を認識するように。
「帰る」ということにより人は「属する」喜びを確かめることができる。
私たちは皆ちっぽけな存在だ。
自分でも存在しているかどうか分からないくらい
ちっぽけな存在だ。
だから、友人から、周りからメールを受け取ったり
言葉を受け取ったりして、自分と言うものが
存在しているかを毎日確認しないではいられない。
ケイタイでメールが届いてないかボタンを
を押して確認するとき、その指はこう尋ねてるー
Do I exist?  私は存在してますか?
人間と言うことばー「人の間」を書く。
おそらく「人間関係」とか「人間に」(人の間に)生まれてという風な
意味で、元々使われていたのが、
いつの間にか「人」の意味でつかわれるように
なったのだろう。
大切なのは人と人の間にある何かだと言う事をあらためて思わせる。
人は他の誰かと接しなければ「間」がないわけで
人と接して初めて「人間」になるということか。
人を頼り、そして頼ってもらう。
人は人を必要として、そして必要とされて初めて「人間」となる。